マラソン、駅伝の結果報告
■マラソン編
 9月下旬、マラソンに挑戦することにいたしました。年頭「「健康宣言」をして以来、これといって運動をしていなかった私にとっては、無謀ともいえる決断でした。その背景には、11月下旬に御殿場市内で原里地区一周駅伝があり、それに選手として出場することになっていたことがあります。この駅伝出場も地区(自治会)の役員に無理を言って出場させてもらったのですが...
 大会は栃木県で行われる渡瀬遊水池マラソンを選びました。理由は、この大会が11/10で原里地区一周駅伝が11/24のため、コンディション維持がスムーズにできると考えたからです。マラソンを選択したら、次はパートナーの選択です。私は、マラソンの時にはいつも自分より遅い人を選びます。結果としてかつての職場の同僚であった塩浜くんと佐野くん(二人とも年齢は30代前半です)を選びました。(選んだといっても実態は強制参加させたのですが...)

 練習の走り込みは、一日4Kmを毎日が目標でしたが、風邪をひいてしまったこともあり、7,8回ほどしか練習できませんでした。(マラソン経験者の方ならこの状態で参加するのがいかに無謀なことなのか分かるかと思います)

 大会前日、古河市内のホテルに前泊しました。当然の事ながら、前祝いが始まり、3家族の宴会で盛り上がりました。さらに、塩浜くんと佐野くんは、無謀にも二次会までやってしまう始末。そうして、大会当日を迎えました。

 そして大会当日、駐車場に着くとその広さに驚きました。通常マラソン大会は駐車場が小さく、駐車場探しに苦労します。スタートの3時間前くらいに到着しなければ駐車場の確保は楽に出来ませんが、この大会はその心配は全くありませんでした。そして、選手受付、車を止めたところから徒歩一分でつく近さでした。非常にランナーにとって走りやすい環境が整っておりました。

 スタート前にはアップもそこそこに3家族で遊んでおりました。ちなみに塩浜くんと佐野くんは携帯電話を持参し、走ることを相談しておりました。リタイアしたとき、奥さんに迎えに来てもらうため、だそうです。

 そして、スタート。この大会は1km毎に、距離表示がありました。これもランナーにとってはペース維持のためには、大変役に立ちます。1kmを6分のペースを目標としました。これは5時間を切るには最低のペースです。通常マラソン大会には時間制限があり、それを切らなければ失格になります。この大会は7時間が制限時間でしたが、私は通常の大会の制限時間である5時間を目標としておりました。そして、17km地点までこのペースを維持できることが出来ました。

 ところが、17km地点を過ぎ、心の葛藤が始まりました。「この大会じゃなくでも次の大会で頑張ればいいじゃないか」「早くリタイアしてご飯を食べたい」「まだ、倍以上の距離を走らなければならない」など、これらの悪魔のささやきに屈するまで時間はかかりませんでした。18kmを過ぎ極端にペースダウン(結果として歩いているスピードと同じ)しリタイアの徒につきました。

 しかし、家族は暖かく迎えてくれました。「もう来年は走らないよねー」といった妻の一言が胸に突き刺さりましたが、私に心は既に来年のリベンジに燃えておりました。駐車場の確保、1km毎の距離表示、平坦なコースとこんなに環境に恵まれたマラソンは初めてでした。来年は一人でも出場しようと心に誓い会場を後にしました。

スタート前
塩浜くん、私、佐野くん 3人と娘たち 奥さんと娘たち 娘たち 娘と私
リタイア後
リタイア後悪びれる様子もなくVサインの塩浜くん リタイア後悪びれる様子もなくりきむ佐野くん リタイア後悪びれる様子もなく娘とVサインの塩浜くん リタイア後悪びれる様子もなく娘とVサインの佐野くん 3人の中で一番長い距離を走ったわたし


■駅伝編
 マラソンの結果にショックを受けた私は、2週間後の駅伝に多大な不安を持つようになりました。とにかく練習をしなければなりません。私は第3区の2800mを走ることになっておりました。目標タイムは12分とすれば、そんなにブレーキにはならないだろうと思っておりました。

 練習は2日に1度くらいの割合で行いました。練習内容は、本番と同じコースのタイムトライアルです。初日、ざっと流して16分台、その次は15分台と大幅にタイムが縮まっていきました。しかし、どうしても、14分は切れませんでした。

 大会当日、雨模様でしたが心の中はやってやろうという気持ちでした。タスキを受け、走りはじめ、一人二人三人と抜いて行きました。(しかし、全部小学生です)今までの練習にはなかった苦しさを覚え中継点までたどり着きました。タイムを見ると13分10秒くらい。今までの最高タイムです。地区の部門でも中位には入っているのではと期待をしておりました。

 しかし、公式タイムを見て愕然、地区部門ではダントツの最下位でした。どうやらこの区間は、どのチームもエースが走った様です。こうして、私のマラソンと駅伝にくれた秋は終わりました。
 公式タイムを下に掲載します。

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