00年選挙日記
●サラリーマン
99年10月。私は、矢崎部品(株)W/H第二開発事業部に勤務する。普通のサラーリーマン。毎日、7時20分に社宅を出て、神奈川県厚木市にある厚木アクストビルに通勤しておりました。
チームリーダーに昇格し、これからも企画技術者として、意欲的に、そして楽しく仕事をやって行こうと思っていました。
そんな時、組合本部の委員長から、「大事な話しがあるから、来て欲しい」と電話がありました。何かと思って行ってみれば、次回の御殿場市議会議員選挙への立候補の話。過去、組合役員をやったことはあるものの、政治には殆ど興味は無く、簡単に受託は出来ませんでした。しかし、それから、約1ヶ月にわたり説得を受け、最後は事業部長からの要請も受け、「人事異動だと思ってくれ」の言葉に、後ろ向きながらも受託する事にしました。
しかし、「サラリーマン根性で、やると決めたら徹底的にやってやる」と気持ちの切り替えは、スムーズに出来ました。サラーリーマンというと、「8時〜5時まで机に向かっていれば、給料がもらえる気楽な稼業」と思っている人も多いと思いますが、今は決してそんな事はありません。企画力、統率力、職務遂行能力、精神力等がなければ、一人前のサラリーマンとは言えません。私には、それらがありませんが、そうなる様に努力をしておりました。その努力をする事が、サラリーマン根性だと思います。技術の道から政治の道へ少し方向は違うけれど、サラリーマン根性で頑張って行こうと決意致しました。
●矢崎社長からの指示
99年12月。今回の立候補にあたり、次の様な指示を頂きました。「矢崎のメリットは、考えなくて良い。とにかく地域に貢献することだけを考えろ。それが地域に根付いた企業の任務である。」今まで、自分の中で組織内議員の定義づけがうまく出来ていなかった為、この指示を頂き、自分のやるべきことが自分の中で確定しました。地域への貢献。共存という言葉をキーワードに政治活動を行おうと決意しました。政策を掲載したリーフレットをこの後、作りました。
●挨拶まわり
99年12月。この頃から、企業や知人宅への挨拶回りが始まりました。本当に皆さんが好意的に迎えてくれてうれしかった事を覚えています。その都度、やる気が出て参りました。しかし、中には「社宅に住んでるような奴が、選挙に出てくるんじゃねー」とか、「まあ、適当に頑張ってよ。オレは、他の人に入れるから」とか、あまり好意的でない人もおりましたが、技術の仕事をやっているときは、徹夜で作った提案書を得意先から返却されたりしたこともあり、あまり苦にはなりませんでした。それどころか、政治活動で見返してやると、新たに意欲が出てきました。
●決起大会
00年1月24日矢崎部品(株)御殿場製作所の体育館で決起大会を行いました。裾野市議会土屋篤男さん、矢崎部品御殿場製作所長豊田進さん、衆議院議員渡辺周さん、伊藤昭夫後援会長、島田市議会大池幸男さん、全矢崎労働組合勝亦執行委員長等のご挨拶を頂いた後、候補者の決意表明を行いました。決意表明は、仕事で行っていたプレゼンテーション形式で行い自分の声だけではなく、画像で決意を表明致しました。
●出陣式
00年1月30日、いよいよ告示の日です。この日は、済んだような青空で、富士山には不思議なかさ雲がかかっていました。まるで、自分の前途を祝うようだと思いましたが、良く考えてみれば、御殿場の選挙なんだから、他の候補者も同じように考えているのか、などと意味の無い事を考えていたりしました。
県労福協会長野口様、JAM静岡執行委員長岩城様、連合静岡沼駿地協会長八木戸様、衆議院議員渡辺周様、矢崎部品鈴木副社長、豊田所長、伊藤後援会長から御挨拶を頂きました。いよいよ自分の決意表明になりました。ここで自分がしくじっては、今までの支援者の方々の努力が無駄になると思い、失敗は許されないと、いざ壇上に上がると、なぜか後ろの女房が気になりました。全く意味は無いのですが、普段から恐妻家の自分が出てしまったのでしょうか?原因は今もわかりません。
前日まで無投票になるとの情報もありました。自分としてはここまでやったんだから是非選挙をやって欲しいという思いがありました。だから選挙カーに乗り、27名(定数26)のポスターが張ってある掲示板を見た時は、ホットしました。とにかく、選挙戦は、始まりました。
●選挙名場面集
選挙は終始、私自身は楽しくやる事ができました。支援者の方々には寒い中、色々な活動を本当にありがとうございました。
●開票
00年2月6日。投票日です。不思議と緊張はありませんでした。というのも、ここまで、支援者の皆さんと頑張ったんだから結果は、どうでも良いというような開き直った思いがあったからかも知れません。でも、自分が果たしてどの位置にいるのか全く判りませんでした。新聞では、”知名度不足”で苦戦とか、”若者の選挙離れ”で苦戦というような評価でした。
この日は、朝から雨模様。自分のような新人は、投票率が上がれば有利と言われてますので、この雨は自分にとって不利になるのか、などと考えていました。ただ、この日は、もうじたばたしても何も出来ません。出来る事は投票に行って、自分の名前を書くことくらいかと思い、女房と投票所へ行きました。
投票所に行き、手続きを済ませ、記載所にいくと、自分の名前が、”大橋ゆきお”と書いてありました。届出の時、名前をひらがなで登録したからです。この場合、”大橋由来夫”と漢字で書くと無効になるのかどうか考えてしまい、結局、ひらがなで書きました。投票を終り、女房に「オレの名前を書いたよな?」と聞くと、「書いてやったわよ」と、言う返事が返って来ました。
午後8時、投票が終了しました。投票率は69.85%史
上最低の投票率ということでした。これは、ますます自分にとって不利だな、と思う中、中間発表が始まりました。午後10時、第1回の途中経過、100票で一律。午後10時30分、300票で一律。午後11時、1000票。ここで差が出始め、当選がほぼ確実となりました。そして、11時30分、4回目の途中経過発表があり、ここで信じられないことが起こりました。なんと、2600票で第一位。選対の人たちの反応は、聞き間違いじゃないのか、もう一度確認しろ。とか言っておりました。
当選の挨拶
素晴らしい成績で当選することが出来ました。本当にありがとうございました。この2,618という数字は、私に与えられたものではなく御支援して頂いた方々の力の結集がこの数字に現れたと思います。自分は、これから議員活動に入るわけですが、この数字に恥じないような活動をして行きたいと思います。
長い選挙戦でした。結果は、次の様になっています。
順位 | 氏名 | 獲得票数 | 順位 | 氏名 | 獲得票数 | 順位 | 氏名 | 獲得票数 |
1 | 大橋由来夫 | 2618 | 9 | 望月八十児 | 1734 | 18 | 鈴木 忠夫 | 1413 |
10 | 榑林 静男 | 1683 | 19 | 宇野 茂夫 | 1409 | |||
2 | 山本 逸朗 | 2286 | 11 | 池谷 晴一 | 1656 | 20 | 西田 英男 | 1348 |
3 | 本崎 肇 | 2140 | 12 | 堀内 常男 | 1618 | 21 | 厚見 道代 | 1348 |
4 | 滝口 俊春 | 1995 | 13 | 横山 竹利 | 1577 | 22 | 小宮山武久 | 1318 |
5 | 勝間田通夫 | 1951 | 14 | 小野 武 | 1516 | 23 | 黒沢佳寿子 | 1239 |
6 | 鈴木 文一 | 1940 | 15 | 長田 孝徳 | 1469 | 24 | 加藤千恵子 | 1077 |
7 | 勝又 幸雄 | 1875 | 16 | 長谷川 登 | 1466 | 25 | 佐々木大助 | 1071 |
8 | 鈴木 寅生 | 1815 | 17 | 渡辺 巌 | 1463 | 26 | 辻川 公子 | 1039 |